旧 角田隈東土地改良区のあゆみ

waito50thayumi.jpg(旧角田隈東土地改良区 年表)

 

太平洋戦争終結後、昭和21年に自作農創設特別措置法が公布され昭和22年からの農地改革により枝野村で3,458反(約343ha)、藤尾村で2,073反(約205ha)の農地が地主から買収し小作をしていた人々に売り渡された。「角田市史より」 昭和22年11月には農業生産力の増進と農業者の経済的社会的地位の向上を図るため農業協同組合法が制定され同年12月に農業災害補償法が制定されて農業共済組合が組織された。それから2年後の昭和24年6月6日に農用地の改良・開発、農業生産の基盤の整備及び開発により農業総生産の増大及び農業構造の改善に資するため土地改良法が制定された。

当土地改良区管内でも昭和27年8月に元伊具郡青木と内町及び大堀川水利組合が合併して伊具郡青木土地改良区が設立され用排水の維持管理を行い、又元伊具郡沼尻水利組合伊具郡沼尻土地改良区として排水の維持管理を行っていたが、東部丘陵地帯の広大なる流域を有するにもかかわらず排水施設が整備されていなかったため常襲水害地帯であった。よって抜本的土地改良が計画され排水対策及び用水の確保並びに区画整理による基盤の整備を図るため昭和34年8月31日に伊具郡青木土地改良区伊具郡沼尻土地改良区が合併し角田隈東土地改良区が設立された。

昭和43年以降地区編入による地区の拡大がなされ、昭和43年に北谷地地区、翌44年には坂津田地区、同47年に平貫地区を地区編入し区画整理を実施した。その後47年には丸森町小斎土地改良区を吸収合併し、同52年に大内地区を地区編入し現在に至っている。

事業としては、県営隈東地区排水改良事業が昭和37年に採択され15年の歳月を要して昭和52年に完了し沼尻、中谷地排水機場の設置を行い大堀、青木堀、横堀、新堀、山口堀、半田川、福田堀、内町堀合わせて22,337mの新設、改修が行われた。次に用水の確保として山地流域の渓流及びため池以外に水源を阿武隈川に求め用水改良事業を計画し昭和34年〜37年に土地改良区事業主体による団体営隈東地区用水改良事業を施行して前原揚水機場(両吸込渦巻ポンプ800φ 360φ 各1台)を設置した。しかし阿武隈川から取水していた揚水機場(平貫、坂津田、北谷地、前原、前並、金山)が河床低下のため揚水不能となり、施設の機能回復を図るため県営かんぱい(施設機能)事業の採択を受け、昭和53年度に着工して機場の統合及び送水管施設事業が行われた。昭和56年に新坂津田用水機場(縦軸斜流ポンプ600φ 300φ 各1台 送水管延長42,973m)が完成し昭和60年には新小斎揚水機場(縦軸斜流ポンプ800φ 700φ 各1台 送水管延長4,081m)が完成し昭和63年度に竣工した。その他県営老朽ため池整備事業によって昭和50年度〜53年に内町ため池の整備を行い、続いて同56年〜平成5年に山入ため池の堤体整備を行った。

土地改良総合整備事業関係では昭和62年〜平成9年まで丸森町小斎地区に於いて地下水の高い水田が多く、又支線用水路の沈下、老朽化が著しい部分があり用水の安定供給に支障をきたしていたため暗渠排水及び用排水路の改修を行った。更に平成9年〜14年まで角田市藤田地区に於いて用排水路の老朽化により全体的な整備を行った。
当管内の用排水施設は昭和37年〜54年までの排水改良及び53年〜63年までの用水改良事業にて完了しているが、経年劣化等により支障をきたし維持管理に多大な経費を費やしたことにより新小斎・新坂津田揚水機場及び中谷地排水機場並びに付帯する幹線用排水路の整備補修を県営基幹水利施設補修事業として平成9年〜19年まで施工している。

当土地改良区は用排水事業の進展に併せて地域全体の区画整理(開田を含む)を実施し昭和34年に積寒事業により前原地区を皮切りに大坊、島東台地区を施工し、昭和37年から41年にかけて第1次農業構造改善事業で尾山、島田、大谷及び金山地区の工事を行い、この10年間で750haに及ぶ区画整理を実施した。昭和43年には第2次農業構造改善事業により北谷地地区が施工され昭和44年から47年にかけては坂津田地区を施工し同47年から51年にかけて平貫地区を地区編入を行いながら施工してきた。昭和48年から52年には藤田地区の区画整理を実施し、昭和53年から島田地区の区画整理を行い、昭和58年から63年まで真こも地区を施工し更に63年から丸森町小斎北新地区の区画整理を行った。

県営事業としては大内地区ほ場整備事業を昭和52年から昭和63年まで279haを施工した。当時の大内地区の耕地は三角田畑が多く一筆が数枚に分かれていたり農道も整備されておらず、用水もかけ流ししながら下流の田にかけていたが、ほ場整備により農道が整備され、用排水が分離され整然と区画整理された美田に生まれ変わっている。

平成の時代に入りしばらくは区画整理はなく維持管理の時期に入っていたが、平成8年に前原用水路の老朽化が著しく、改修について県及び市と協議を進めてきたところ担い手育成型のほ場整備制度が新しく制定され地元負担5%で施工できるため単独で用水路を改修するよりも負担が少なくすむことから、区画整理による枝野地区全体の改良事業を行うことになった。平成10年に枝野地区 経営体育成基盤整備事業が採択され今までの10a区画から1haの大区画への工事が始まり平成20年まで11年間に亘る工事の結果、211.4haの内60haが1ha区画となり大区画ほ場が生まれた。

枝野地区ではアグリセンターを設立し185haの田と320名に及ぶ参加を得て所有権と耕作権を分離した一括利用権設定による土地利用調整を行いながら営農を行っている。なお、枝野地区の活動が評価され平成22年3月に平成21年度農業農村整備優良地区コンクールにおいて農林水産大臣賞を受賞した。     

 

平成26年3月31日に角田土地改良区との統合整備により土地改良区を解散した。


 


 

・角田隈東土地改良区 地区面積並びに組合員数の経過

区 分
 
田 
 畑  計 組合員数 
 設 立 時 
(昭和34年)
508 ha 
502 ha 
1,010 ha 
1,171 名 
 20周年当時
(昭和54年)
1,687 ha  669 ha 2,356 ha 2,406 名 
 30周年当時
(平成元年)
 1,657 ha  635 ha 2,292 ha 2,396 名 
 50周年時
(平成21年)
1,612 ha 589 ha 2,201 ha 2,335 名